ニュース雑感
すみません,また長くなります.
昨日,「住宅地の川に鮭が遡上」というニュースがありました. その中で,「地元の小学生がEMという微生物の醗酵液を撒くなどの活動が実った」というようなコメントがありました.
川がきれいになることは大変結構なことで美談に水を注すわけではありませんが,ここで出てくる「EM」については二重の意味で引っかかる部分があります.
一つはEMとは「有用微生物群」ということらしいのですが学術的に広く使われる用語ではなく,微生物には好気性,嫌気性,それぞれに名前のついたものがたくさんあるわけで,EMとひとくくりにしてしまったものについての効能をあれこれ言うことに違和感があるのです.
浄化槽や下水処理施設は微生物のおかげですし,微生物ろ過,バイオリアクターといった技術は産業的にもそれほど特殊なものではありません.
土木工事などで河川などの浄化をする場合は微生物を撒くというよりは,微生物膜と水との接触面積が広く取れるように多孔質のセラミックや複雑な形に変形させたプラスチックの接触材などを沈めるような工法があります.
こういった環境を整えてやると微生物は自然に繁殖します.(溶存酸素を増やすような構造も大事,またヘドロなどで覆われてしまわないよう定期的な清掃が必要ですが.)
EMについては私の勤める会社にも,とある商品の紹介があって調べたことがありますが,いろいろ問題がありそうでした.
もともとは沖縄大学の教授が農業向けに開発したもののようで,本も売れ随分広まったようです.
ただ,「有用微生物群」と一口で言ってもあちこちで出来上がるものの組成や管理方法が異なるでしょうから「うちは効果があった」「うちはさっぱりダメだった」と評価が分かれるようです.
そして,「波動商法」のフィクサーとの関係が出来てからは農業の枠を飛び出し,EMを名乗るオカルト的な商品が続々と出てきました.
「EM」「波動」というキーワードでgoogleすれば珍妙な商品が多数ヒットすることでしょう.
また,ガン治療に使うという医師まで登場したり,某宗教の様式化にも一役買ったりしているようです.
このあたりの経緯については斎藤貴男氏著の「カルト資本主義」が詳しいでしょう.
微生物がEMでなければならない必要は無いと私は思うし,背後の経緯を知れば知るほど警戒したくなってしまいます.
もう一つはEMの指導をする教師についてです.
実はカリスマ的人物が主催するTOSS(教育技術法則化運動)という教員のグループ活動があります.
ここでの活動は良い結果を出しているものもあるのでしょうけど,看過出来ない事も行われています.
例えば道徳の時間に江本勝氏著の「水からの伝言」という波動系の本を持ち出し,
「水にありがとうと言えばその結晶はきれいになり,ばかやろうなどと声をかけるとその結晶は崩れる.」
というような授業をするわけです.
言うまでも無く水の結晶の成長の過程はそんなものに左右されるわけはありません,結晶については日本の中谷宇吉郎先生の立派な研究があるのですから. いかな,道徳の授業とはいえこの本の引用はひどすぎます.
このTOSSに疑問を投げかけておられる方も多いです,TOSSウォッチングというサイトを紹介しておきます.
回り道になりましたが,TOSSのサイトを見るとEMに入れ込んでいる先生が多数おられるようなのです.
その授業内容を見るとやはりEMをひとからげのブラックボックスとして扱い,万能の抗酸化作用や浄化作用という,本の受け売りをしているようなものがあります.
酸化が悪で抗酸化が善というようなステレオタイプも受け入れ難いし,EMの何が何にどう作用しているのかという考えに至らなければ,教員としても学問の探求にならず,思考停止ではないか?と思ったりするのです.
私の懸念が杞憂であればいいのですが,このようなニュースを聞くたびにどこか引っかかるものがあるのです.
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コメント
先入観というものは、物事を正しく(この言葉も?ですが)捉えるのに時として邪魔になることがあります。
善とか悪とか言う単純なことでもなく、特に自然科学の場合目の前で起きている現象がすべてであり、理論、分類はすべて後追いですね。
ニュートンがりんごを落ちたのから重力を発想したように、理論、分類は後追いです。
今となっては、「重力があるからりんごは落ちるのだ」とみんなは当然のように言いますが、ある意味、言い切るのは危険です。
TOSS(教育技術法則化)ですか、そうでもしないと、いちいち疑問をもたれても効率的な社会は築けないと言うことでしょうが、なんかな~と思います。
まあ、あまり長い分からんコメント書いても何なので、とりあえず、「前向きな疑問を持とうよ」とでも〆ときますか。
投稿: すぎやま | 2005年10月14日 (金) 14時33分
小めんどくさいエントリにコメントありがとうございます.
> 自然科学の場合目の前で起きている現象がすべてであり、理論、分類はすべて後追いですね。
そのとおりでして,科学はまず起きている事を観察して,仮説を立て,検証実験の結果を予測し,結果を評価し,発表したものを第三者が追証する,そこまでやってはじめて「正しいと言っていいんじゃないか」という事になります.「絶対」はありません.
画期的な耳障りの良い説明があったら,途中を省いてしまっていないか?「いい」「悪い」の二元論で片付けちゃっていないか?定性論じゃなくて定量論で,という視点で見ていくといいと思いますね.
投稿: Yamada | 2005年10月14日 (金) 21時17分